青い海・緑の山々:自然いっぱいの我が郷土: 宮崎
生まれた故郷は、今、全国でいちばん有名にした東国原前宮崎県知事のところで、
日南市油津で学生時代を過ごしました。昔(昭和30年ごろ)から現在に至っても宮崎県は
交通網は最悪で、私が過ごした青春時代は、日南から宮崎に行くにも,汽車は単線で
鹿児島県の志布志を経由し、都城から宮崎に行くという具合で、現在では考えられないほど
不便なところで、まして、大阪、東京に行くとすれば,宮崎駅を13時に発車し日豊本線を
経由して、下関から関門トンネルを潜り、大阪には翌朝8時、日南からは何と24時間かかったのです。
現在で考えられますか、今は、新幹線も鹿児島まで開通したと言うのに、いまだ宮崎は、
唯一、宮崎空港からの飛行機の利用と、日本でも遅れた日豊本線を利用し、ようやく小倉・
博多から新幹線を利用して、大阪、東京の都会に行けるようになった事で、少しはましに
なっていますが。まだ宮崎は陸の孤島です。当時宮崎県の東国原知事が、宮崎の高速道路の
遅れと鉄道の複線化を真剣に「どげんかせんといかん」と、知事がアピールしていたことを
少しは分かってもらえますか。
都会で育ち交通機関に不自由さを感じない、方々にこの不自由さを、少しは身近に感じ
理解してほしいものです。
宮崎は昔から若者が働けるような工場もなく、当時は大きな工場と言えば延岡の旭化成、
日南の日本パルプ、現在の王子製紙ぐらいなもので、若い者は働くところを求めて、
多くの若者が、故郷を離れて遠い都会へ職を求めて、就職列車で都会に行ったものです。
昔から宮崎の有名なものと言えば台風銀座といわれ、台風時期は必ずと言うほど宮崎県を
通過したものです。あと一つ自然な環境である景観ということで、当時の宮崎は、
新婚旅行のメッカとして一時は、多くの新婚さんで有名でした。
リアス式海岸の景観と,日南国定公園、これも宮崎から鹿児島に近い野生馬と灯台の都井岬
まで、あまりにも距離のあるこの公園は、高千穂から、熱帯樹林の島:青島をえて、野生馬と
宮崎最南端の灯台都井岬まで、あまりにも距離のある鹿児島との県境に近い、,雄大な海岸線の
景観を見ながらの、観光はバスでも大変な行程になったようです。
個々に観光を考えれば高千穂の峯、綾のブナ自然公園、霧島公園、青島、サボテン公園、
鵜戸神宮、幸島、(猿の島)都井岬,等環境にやさしく,現在では、この環境を求めるようにも、
なってきた事は皮肉なものです。
宮崎は温暖な気候のため、多くの各球団は日向、宮崎、日南、串間、等にキャンプ地を定め、
各地域では我が球団とし応援をやっております。
現在ではこの温暖で自然いっぱいの環境が、人間生活にはよいとされ、都会より田舎暮らしを
求める、時代になろうとしているよです。全国のみなさん、環境に恵まれた自然いっぱいの
宮崎県に、いって、みやらんか。
来て見やらんか、自然の里みやざきに。
今は故郷を離れて半世紀、都会で育ち、今は帰りたいが帰れない、子供の頃走りまわった、
山河を思い出すのが、ふるさとよ。
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